はじめに(丹羽美之)
真夜中のジャーナリズム――NNNドキュメント(丹羽美之)
NNNドキュメントの50年――“時代を映す鏡”(菊池浩佑)
時代(いま)を切り取り,古(いにしえ)として遺す(谷原和憲)
第1部 テーマで見るNNNドキュメント
[農村] 米農家たちの闘い(松山秀明)
[沖縄] 議論する人々の島(松下優一)
[公害] 「レイト・カマー」から見た水俣(西田善行)
[原発] 核被害の経験をつなぐ(瀬尾華子)
コラム 出演者の背中を押す撮影(堀越 伶)
[ジェンダー] 境界を越えること,その苦悩と葛藤(伊藤 守)
[貧困・格差] 声をあげる労働者たち(李旼胄)
[外国人・移民] 移民政策なき移民大国で(章雯晶)
コラム 「対面」という方法(李美淑)
コラム マスメディアに傷つけられた人々(荒井 俊)
[教育] 教育問題を地域社会に取り戻す(小川豊武)
[病い] 患者たちの物語(加藤美生)
[障害] 共に生きる社会へ(丸山友美)
コラム アーカイブから老いを考える(近藤和都)
コラム 出版人から見た映像の力(渡辺千弘)
[戦争] 戦後X年特集に見る戦争観(藤田真文)
[原爆] 「ヒロシマ」を複数化する(鈴木麻記)
[アジア] アジアの戦争被害(丁智恵)
コラム 磯野恭子と中国残留婦人(王楽)
コラム これはドキュメンタリーなのか?(今枝翔太郎)
[政治] 「わたし」たちの民主主義(森田のり子)
第2部 放送記録 2465回の軌跡
1970–1979年
制作者コラム
スタートは1970年(氏田 宏)
70年1月001のドキュメントの音効(髙田暢也)
何故撮り続けることが出来たのか(池松俊雄)
瀬戸内海は,今日も碧いか,穏やかか(上原冨士夫)
《激動する沖縄》の30年(森口 豁)
1980–1989年
制作者コラム
目を閉じて見えるあれこれ(杉山平和)
社会の「空白」を映し出すNNNドキュメント(向井嘉之)
核の平和利用という幻想(片野弘一)
初演出作品の思い出(稲田裕之)
Nドキュの塔は高くそびえ(伊藤清隆)
見てしまった者の責任(武居信介)
核はいらない 核まいね(黒滝久可)
1990–1999年
制作者コラム
“仲間”に恵まれて(竹島章記)
午前1時のお迎え(大脇三千代)
『我是政治難民』制作にあたって(高岸 勝)
『プルトニウム元年』の時代(上重五郎)
NNNドキュメント93『47年目の戦災 ~大分市の不発弾爆発事故~』(10月31日)(園田雅之)
NNNドキュメントと私(西文俊)
ドキュ7(佐藤幸一)
時空を超え「思い」を伝える(河野信一郎)
2000–2009年
制作者コラム
犯罪被害者・声なき声を届けたい(堀川雅子)
Nドキュとの出会い(芝田和寿)
25本の花を咲かせた,ある言葉(金本進一)
小さな声と正義(安田(重森)由佳)
志布志事件「嘘ひいごろ」 Nドキュへの思い(蛭川雄二)
Nドキュで試行錯誤した“貧困報道”(水島宏明)
「伝えたい」の焦点(佐々木聰)
見過ごすな “被害者”の「痛み」(征矢野泉)
2010–2019年
制作者コラム
NNNドキュメントとともに35年(遠藤 隆)
モデル農村を見つめた30年(石黒 修)
あの日を伝え続けることが未来の命を守る教訓(渡邊 司)
Nドキュから生まれたライフワーク“X年後”(伊東英朗)
地方の片隅で生きる(岩本千尋)
ドキュメント45は福島をどう描いているだろうか(佐藤 崇)
共感の先にある,同期.(有田泰紀)
· · · · · · (
收起)