まえがき
第一部 東アジア貧困政策の歴史比較へのアプローチ
第1章 朝鮮王朝貧困政策へのアプローチ
1.東アジア比較の観点
(1)儒教と法家の東アジア
社会制度の基礎としての文化、文化圏
朱子学以前の東アジアと法家
(2)比較社会政策史の研究方法
比較研究とは何か
比較歴史的問い
(3)本研究における比較社会政策史の観点
研究テーマの類型化
なぜ比較歴史的問いが必要か
2.微視史の観点および史料
(1)微視史の観点とは
微視史の観点の特徴
微視史と巨視史の補完的関係
(2)貧困政策の歴史記述になぜ微視史の観点が要求されるのか
より立体的な歴史理解
貧困政策の利用者の立場を重視するということ
(3)微視的史料の活用方法
重視される資料
微視的史料の活用方法
第2章 東アジア比較社会政策史の観点からみた朝鮮王朝システム――韓国社会政策の歴史文化的遺産
1.東アジアの国際秩序と朝鮮
地政学的特性
朝貢と冊封の体制
内治への傾倒と国防意識の欠如
清に対する朝鮮支配層の態度
朝鮮士大夫の日本観
朱子学の普及
2.統治構造と統治理念
朝鮮の建国と新興士大夫
朱子学根本主義
極端な再分配体制の形成
統治構造と組織――中央と地方
極端な身分制社会と奴婢
務本抑末の政策
インボリューションの政治経済
3.人口および生活水準の変動
人口変動が意味するもの
東アジアの人口変動
急速な人口増加の影響
なぜその対応に相違が発生したのか
朝鮮の人口変動とその要因
人口減少の要因
生活水準の変動とその推定
4.朱子学教条主義の社会文化
教条主義の社会
二分法の差別主義
知識国家と教育指向
党争と政治的社会
農業観と商業観
弱体化した共同体
下部構造文化と民衆の強い適応力
なぜ勤勉革命は起きなかったのか
第二部 朝鮮王朝の貧困政策
第3章 貧困の規模と救貧制度の概観
1.飢饉の発生とその規模
飢饉関連の公式記録
飢饉の間接的推定方法
2.福祉制度の概略
備荒と救荒
医療制度と保養
その他の福祉制度
3.東アジアの倉制度
倉制度の起源
倉制度の運営と消滅
日本の倉制度
4.朝鮮の倉制度の概観
韓半島における倉制度の歴史
常平倉とその論議
社倉の論議とモデル事業
社倉節目の施行
第4章 予防的貧困政策――還穀制度を中心に
1.倉制度の基本条件
元穀の調達
倉庫の建設と管理
穀物の運搬
2.還穀の運営構造
還穀に対する見方と運営規模
対象者選定の過程
還穀の租税化と公正性の問題
未返納の問題とその対応
3.還穀に対する3つの立場
なぜ三者の立場で分ける必要があるのか
(1)中央政府の立場
還穀政策の変化
地方官に対する中央政府の態度
(2)地方官の立場
地方官の責任の強化
地方官はなぜ還穀を規定通りに運営できなかったのか
(3)還穀利用者の立場
還穀利用者の制度利用方式
農民層の抵抗
(4)観察使と地域民――移粟に関わる利害関係
観察使の立場
移粟に関わる「朝廷‐観察使‐地域民」の関係
4.朝鮮の倉制度にはなぜ物価調節の機能がなかったのか
常平制度と貨幣
「常平」の機能とその条件
朝鮮の現実1――穀物生産の零細さ
朝鮮の現実2――布の商品性・分割性の問題
名分の側面
実利の側面――窮民には役に立たなかった理由
5.還穀制度の特殊性――中国倉制度との比較
(1)中国的制度の朝鮮的運営
倉制度の動機は果たして仁政であったのか
救貧制度に対する儒家と法家の考え方――人間観の違い
我田引水の解釈とその事例
歴史的事実と朝鮮朝廷での恣意的論議
(2)朱熹の社倉論――誤解と真実
朱熹の思想的立場
朱熹の新自由主義的社倉論
6.還穀の救恤的性格と帰結
還穀の救恤的性格――1794年全羅道飢饉を素材に
還穀の帰結
社還の虚留穀発生について
第5章 事後的貧困政策――賑恤政策
1.賑恤政策の展開
朝鮮王朝の賑恤へのアプローチ
賑恤政策としての市場
流移から移粟へ
慢性的な食糧不足と流民の救済
食糧不足の中での間接的救貧政策
2.国王の対応――徳治と責己
国王の動機――仁政と責己
救貧に対する官僚と国王の温度差
国王による温度差の問題
飢饉時の国王の言行
3.賑恤政策の法的根拠と救貧機構
公的責任の救貧制度
地方官の責任規定とその漸進的強化
救貧システムの漸進的確立過程
公的救貧機構
賑恤事業の人力
4.救恤政策の内容
賑恤の原則――「賑恤事目」と「賑救事目」
賑恤の原則――『万機要覧』
賑恤対象者の選定――地域貧民
給付水準と支給方法
5.救貧政策の財源
救貧の財源(1)――中央財源
救貧の財源(2)――地方財源
救貧の財源(3)――民間財源
6.賑恤政策の現場――日中韓の事例
(1)19世紀初任実県の救貧事業
任実県の概要と先行文献
飢饉対策としての農業対策
賑恤とその財源
賑恤の原則と「朝廷‐観察使‐地方官‐面任・里任」の関係
勧分・願納に対する対償、賑恤の結果
(2)江戸日本の救貧事業
支配体制と救貧政策の基調
「仁政イデオロギー」の台頭とその限定的影響
消極的介入、もしくは公的救済の抑制
共同体水準の救貧システムの組織化
共同体責任から家族(自己)責任主義へ
(3)中国(清)の救貧政策――1876年「丁戌奇荒」を素材に
1876~1879年の北部大飢饉と先行文献
「丁戌奇荒」という事例の特殊性
緊急対策と就労事業
民間救済事業
参考資料
第6章 貧困児童保護政策
1.飢餓・遺棄児童の発生と児童保護
遺棄児童問題とその対策
『字恤典則』の内容
2.『字恤典則』の施行
保護児童の規模
棄児保護の実態――収養児童の規模
食糧支給の実態と支給停止
収養以降の身分
3.児童保護に関わるいくつかの社会政策的論議
遺棄児童保護の目的に関わる論議
地域格差の問題と国王による偏差
第三部 比較社会政策史への問いと事例研究
第7章 大規模な倉制度は貧困観にどのような影響を残したのか
1.極めて大規模の倉制度
還穀の大規模性
中国・日本との比較
2.還穀の規模拡大のメカニズム
穀物不足と農業再生産の危機
虚留穀の構造
3.民衆の貧困観への影響――日本との比較
救済受給のスティグマと労働倫理
救貧制度と地域住民の利害関係
第8章 概念を明確にするための歴史研究――「家族主義」の歴史的起源
1.家族主義の概念
家族主義の概念について
対義語からみた家族主義
連続線上の概念――「どれほど家族主義的なのか」という発想
2.歴史文化的遺産としての家族責任主義とその事例
(1)韓国における伝統的家族形態の形成
核家族化の神話とその誤解
伝統社会の主流的家族形態
(2)歴史文化遺産としての家族責任主義――日本との比較
家族責任主義の2つの政策手段――旌表政策と抑制政策
日韓比較史的考察――交差する家族主義のルーツ
国家政策と家族の関係性
(3)現代における家族責任主義の政策事例
韓国医療保険の発展と家族主義
医療保険の運営原理としての家族主義――被扶養者制度
3.家族主義の起源探し
(1)家族扶養の強制
社会秩序としての孝
家族に対する国家の積極的関与
(2)父系中心主義の形成と女性の社会的地位
父系中心主義と家族戦略
女性の社会的地位――飴と鞭の政策
(3)差別主義としての家族主義
蓄妾制度と婢の問題
庶孼差別の問題
終章 朝鮮王朝貧困政策の特徴とその論点
1.要約と結論――朝鮮王朝貧困政策の特徴
(1)要約
(2)東アジアにおける朝鮮貧困政策の特徴
2.現代社会政策と関わるいくつかの論点
(1)貧困救済の国家責任を認めたものと評価できるのか
(2)福祉社会の条件とモラルハザード
(3)福祉ミックス(welfare mix)と市場の極小化問題
(4)共同体における制度と人間
参考文献
あとがき
索引
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收起)